老子
孫子
パワーかフォースか
I《わたし》真実と主観性
The God Game (The God Series Book 1)
the god factory
福禄寿-幸せの暗号
ザシークレットオブナンバーズ
人生を大きく飛躍させる成功ワーク
老子
孫子
パワーかフォースか
I《わたし》真実と主観性
The God Game (The God Series Book 1)
the god factory
福禄寿-幸せの暗号
ザシークレットオブナンバーズ
人生を大きく飛躍させる成功ワーク
老子が道と「あえて」表現した時に道と表したのはなぜか、私に一つ考察ができた。
多く人が使うが誰のものでもないもの。
この特性を持つ道をという言葉を借りたのではないだろうか。
自己と他者、そのグラデーションの中心に道があるのではないだろうか。
全ての二元論を紐解く鍵が道に潜んでるのではないだろうか。
奥行きの子供たち 私の半身はどこに?
君の名は。パートを読んでいて。
本を読んでいて思考についての深い洞察がありました。素晴らしいと思う内容だったので引用させて頂きます。
“
Q:普通の思考とはどのようなものでしょうか?
A:観察してみれば、感情や思考は音符のように現れては消えるものだということがわかります。
《中略》思考が起こり始めた当初は、まだはっきりとした形になっておらず、あたかも打ち寄せる波のうねりのように見えます。そしてその漠然とした原初的なものから、徐々に形を成すにしたがってエネルギーを引き寄せ、最終的な形となって、意見や賛意、異議やそれに関連する意味、記憶を引きつけます。完全な力を持った思考に、付随する感情がはずみをつけます。けれども完成と同時にそれは衰退し始め、徐々に意味や形を失い、過去へと消え去ってしまいます。
″わたし″という感覚の焦点がこの起こりつつあるうねりにあるならば、当人は現実を生きていることにはならず、常に未来にいきていることになります。反対に、意見の焦点が崩れる波の後にあるならば、過去に執着し、過去に起こった出来事の編集作業に追われることになります。しかし、少し訓練すれば、波が崩れる瞬間に意識を置くことができるようになり、過去を悔んだり、未来に思いめぐらしたりすることがなくなります。そして、あらゆる現象をありのままに観察できるようになります。こうして、編集することも、予測することもなくなることで、″今″という幻想さえも消失します。現実は″常に″継続しており″今″も″それから″もありません。…
”
(デヴィッド・R・ホーキンス 著 立花ありみ 訳 (2010).〈わたし〉真実と主観性91~92項 ナチュラルスピリット)
なるほど、崩れる瞬間に意識を置くと過去や未来に囚われなくなるのか...
時間の概念が無くなれば「今」というのも消えてしまうのですね。