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2020年9月28日月曜日

道(tao)はなぜ「みち」なのか

 老子が道と「あえて」表現した時に道と表したのはなぜか、私に一つ考察ができた。


多く人が使うが誰のものでもないもの。


この特性を持つ道をという言葉を借りたのではないだろうか。


自己と他者、そのグラデーションの中心に道があるのではないだろうか。


全ての二元論を紐解く鍵が道に潜んでるのではないだろうか。


奥行きの子供たち 私の半身はどこに?

君の名は。パートを読んでいて。


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